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千葉駅界隈

千葉駅界隈

 現在の千葉市民会館のある場所が旧国鉄千葉駅である。そしってそのすぐわきの空き地(今は駐車場になっている)場所に買って『中央軒』ラーメン屋があった。昭和40年くらいまで営業していたと思う。そこは私の祖母のやっている店で時々そこで遊んでいたものだ。そんな中央軒のあった場所からスタートしたいと思う。

千葉大空襲で千葉は焼け野原になった。本当に焼野原だったそうだ。

 かって日本でも有数の風俗街であった。お風呂屋さんトルコ風呂と呼ばれていた当時ここ栄町のトルコ風呂はほかが20歳からに対して18歳から働けることも人気の一因だったのだろう。働ける年齢は条例で決まっていたようだ。そのことはキャバレーなども営業しておりその時の賑わいはかなりのものだった。広いフロアにステージがあり映画で見るようなイメージである。一台繁華街というのは間違いなかったと思う。フィリピンパブも多かったようだ。現在でもかなりフィリピンパブがる。

建国系の店は昔は表通りでは見なかったがハミングロードの空き店舗に韓国系のお店も入るようになったv。

東映の映画館がこの辺にあった。

旧千葉駅(現在の千葉市民会館付近)と千葉県・市役所など官庁街を結ぶこの通りは千葉もメインストリートであった。途中には京成千葉駅、現在の中央公園の場所にあったが昭和33年に現千葉中央駅に強制移転させられた。当時の京成千葉駅は千葉の中心のど真ん中という立地であった。もありその京成千葉駅から千葉の奥地へのバスが出ていた。当時は国鉄千葉駅の前にはそのスペースがなかったことも理由ではないかと思う。

千葉神社にも近くこの辺りは本当に千葉の中心地であった。

現在は『ハミングロードパルサ』という呼び名になっている。アーケードはかなり昔に取り払われ開放的な道路になっている。

この辺りは韓国系の居酒屋やスナック等の飲み屋が集まっているが、かなり古いお店が多く当然ママさんもいい年齢であろう。この辺りで飲んでもあまり幸せになれそうにない。

 戦後どさくさで不法占拠された。

 国鉄千葉駅が移転したのが1963年らしいのでちょうど私が幼稚園に通っていたころである。が当時その場所は千葉の中心地から離れていた。そして近くにそごう百貨店がオープンしたがそごう百貨店がオープンした時はあんな外れにデパートを作ってやっていけるのかしらと母が言ったのを覚えている。その当時はそれほど千葉の中心から外れた場所であった。しかし古くからあった地元のデパートは規模的にもやはり小さくデパート火災などもありかってのデパートは次第に寂れていった。にぎやかになると京成もあらtに国鉄千葉駅前という駅を新たに開業した。それが現在の京成千葉駅であり勝手の京成千葉駅は千葉中央駅と名前を変え現在に至る。

 高度経済成長期の栄町周辺は、キャバレーなどの風俗店や120店舗ほどのトルコ風呂、多数のフィリピンパブがあったことから風俗店が軒を連ねる歓楽街へと変貌した。現在は新たにお風呂屋さんの開業はできないため無店舗風俗であるデリヘル等に映っている。

まずはハミングロードを歩いてみよう。中国・韓国系の店と空地は駐車場になっている。その駐車場の向こうにはお風呂屋さんの建物が見える。現在千葉で再開発できる一角ではあるが、お風呂屋さんが廃業しないと再開発は難しいだろう。だが老朽化した建物が寿命を迎える時ここは再開発できる。まぁ50年くらい先であると思うが。