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高市早苗、戦いの歴史【後編】

目次

高市早苗、戦いの歴史【後編】

「日本を取り戻す」戦い

2012年、政権奪還を果たした自民党で、高市早苗はとてつもない座に就いたのだった。自由民主党・政務調査会長、そう、政調会長だ。
幹事長、総務会長と並ぶ「党三役」の一つであり、党のすべての政策決定権を握る「頭脳」だったのだ。
この重職に女性が就くのは、自民党結党以来、歴史上初めてのことだったのだ。
「安倍総理が掲げる『日本を取り戻す』ための政策は、すべて私が形にする」
彼女は連日深夜まで政策資料の山と格闘し、アベノミクスの設計図を描き続けたのだった。
2014年、第2次安倍改造内閣が発足した。安倍総理は「すべての女性が輝く社会」を掲げ、過去最多となる5人の女性閣僚を任命したのだった。
高市氏もその一人として、総務大臣に就任したのだった。しかし、その輝きは一瞬で泥にまみれることになったのだ。
まず躓いたのは、将来の総理候補とも目されていた「政界のプリンセス」、小渕優子・経済産業大臣だった。
政治資金規正法違反の疑惑が浮上し、捜査の手が伸びると、
証拠隠滅のために事務所のパソコンのハードディスクが電動ドリルで物理的に破壊されていたことが発覚したのだった。
「ドリル優子」という不名誉な呼び名と共に、彼女は表舞台から姿を消したのだった。
続いて炎上したのは、松島みどり・法務大臣だった。
選挙区で自身の似顔絵入りの「うちわ」を配布したことが、公職選挙法の寄付の禁止に触れると追及されたのだった。
立ちはだかったのは、当時「事業仕分け」で名を馳せた民主党の蓮舫氏だった。
「松島大臣、これは『うちわ』ですね?。仰いで涼をとるものですね?」
詰め寄る蓮舫氏に対し、松島大臣の答弁は迷走を極めたのだった。
「えっと、うちわと解釈されるならば、うちわとしての使い方もできると思います……」
「この形は、ま、うちわのように見えるかもしれませんけど、あくまで討議資料でありまして……」
それはまるで、パチンコ業界の「三店方式」のような苦しい言い逃れだった。
「形はうちわだが、うちわではない」
という禅問答のような強弁は国民の失笑を買い、結局、松島大臣も辞任に追い込まれたのだった。
女性閣僚たちが次々とスキャンダルで自滅していく中、高市早苗はどうだったか。彼女だけは、無傷だったのだ。
ドリルで証拠を壊すこともなければ、苦しい言い訳で逃げることもなかったのだ。
総務省という巨大官庁のトップとして、答弁資料を完璧に頭に叩き込み、野党の追及を論理と法令で跳ね返し続けたのだった。
それどころか、彼女は放送法第4条を盾に、「政治的公平性を欠く放送局には、電波停止を命じる可能性がある」と発言するなど、
マスメディアに対しても一歩も引かない姿勢を見せつけたのだった。
「他の女性議員とは、胆力が違う」
屍累々の国会において、彼女の安定感は際立っていたのだった。結果として、彼女は総務大臣として歴代最長在任記録を打ち立てることになったのだ。
スキャンダルの嵐が吹き荒れる中、高市早苗という「鉄の女」の足場は、むしろ強固に固められていったのだった。

2014年秋、第2次安倍改造内閣は揺れていたのだった。
小渕優子氏、松島みどり氏といった女性閣僚が相次いで辞任し、政権のアキレス腱となりつつある中、
高市総務大臣にも「致命傷」になりかねないスキャンダルが襲いかかったのだった。
海外メディアが報じた一枚の写真。そこには高市氏と稲田朋美政調会長が、ある男性と笑顔で収まっていたのだ。
問題はその男性が、「国家社会主義日本労働者党」という団体の代表だったことだったのだ。「国家社会主義」とはナチズムのことだ。
つまり、ネット右翼などとは次元の違う、ガチの「ネオナチ」団体だったのだった。
「日本の現職閣僚がネオナチを称賛か?」
AFP通信など海外メディアも反応し、ユダヤ人権団体も懸念を示す事態に発展しかけたのだった。
しかし、実態は政治家特有の「有名税」とも言える事故だったのだ。
講演会やパーティで「写真を一枚」と頼まれれば、相手の思想信条調査などできるはずもなく、笑顔で応じるのが政治家の常だったのだ。
高市氏は「相手の素性は知らなかった。不可抗力の事故だ」と冷静に説明したのだった。
吉本芸人の闇営業騒動のような「巻き込まれ事故」として処理し、この国際的な地雷原を強行突破したのだった。
スキャンダルの火の粉を払いながら、彼女は実務でも着実に成果を上げたのだった。
2015年、総務大臣として断行したのが「SIMロック解除の義務化」だった。
それまで携帯電話は、ドコモの端末ならドコモのSIMしか使えないのが当たり前だった。
この大手キャリアによる囲い込みにメスを入れ、ユーザーが自由に会社を選べるようにしたのだ。
これは、後の菅義偉政権による「携帯電話料金の値下げ」へと繋がる、通信行政の大改革の第一歩だったのだった。
そして2016年2月、高市早苗vsマスメディアの全面戦争が勃発したのだ。きっかけは衆議院予算委員会だった。
民主党議員からの「放送局が政治的に公平でない放送を繰り返した場合、どうするか」という質問に対する、高市総務大臣の答弁だったのだ。
「放送法を順守しない場合、その電波停止の可能性が全くないとは言えません」
これは「法律に罰則規定がある以上、将来にわたって絶対に適用しないとは言えない」という、
法治国家の閣僚として極めて全うな「原則論」だったのだ。
しかし、メディア側はこれを「安倍政権による言論弾圧だ」「脅しだ」と猛反発したのだった。
事態は拡大し、田原総一朗氏、岸井成格氏、鳥越俊太郎氏といったテレビジャーナリズムの重鎮たちが「私たちは怒っている」という声明を発表したのだった。
連日、ワイドショーや新聞紙面で「高市大臣の罷免」を求める大合唱が起きたのだ。
総務省には「電波を止めるな」という抗議メールが殺到したのだった。
普通の政治家なら謝罪して撤回するところだったのだろうが、高市氏は一歩も引かなかったのだった。彼女は自身のブログで、長文の反論を展開したのだ。
「私は『電波を止める』などと一言も言っていません。『法律の規定通り、悪質な違反があれば停波の可能性は否定できない』と法律の条文を解説しただけです」
「法律を守らない放送局があるなら、法律通りに対処するのが法治国家です」
感情論で攻めるメディアに対し、冷徹なまでの「法の論理(リーガルマインド)」で応戦したのだった。この一連の騒動で、彼女はリベラルメディアからは「天敵」として憎まれ、保守層からは「マスコミに屈しない鉄の女」として熱狂的な支持を集めることになったのだった。

『家庭内野党の冷戦、そして「発展的解消」』

「おい、どっちに票を入れるんだ?」
「それは言えません」
2012年秋、自民党総裁選での高市家の食卓は、まるでスパイ映画のワンシーンのように冷え切っていたのだった。
妻・高市早苗は、派閥を飛び出して「安倍晋三」の推薦人になった。
夫・山本拓氏は、派閥の方針に従い「石破茂」陣営の参謀になったのだ。一つ屋根の下に、敵対する陣営の司令塔がいる状態だったのだ。
「家の中でうっかり電話もできない」
二人は携帯電話を風呂場に持ち込み、シャワーの音で声を消しながら、それぞれの陣営に極秘情報を伝えていたのだった。
寝室でも背中を向け合い、腹を探り合う。まさに「家庭内野党」「家庭内冷戦」の状態だったのだ。
2003年の落選時、手を差し伸べてくれたのは夫だった。
しかし、結婚から10年が経ち、状況は一変していたのだった。妻は重要閣僚や党三役を歴任し、安倍総理の懐刀としてメディアに出ずっぱりだったのだ。一方の夫は、政策通ではあるものの、妻ほどのスポットライトは浴びていなかったのだった。
「高市大臣の旦那さん」そう呼ばれる夫の背中を見るたび、高市氏の胸にはある種の申し訳なさが去来していたのだった。
さらに決定的だったのは、政策スタンスの乖離(かいり)だったのだ。
タカ派で原発推進、憲法改正を急ぐ高市氏に対し、夫・山本氏はリベラル寄りであった。
エネルギー政策でも「脱原発・再エネ推進」を持論としていたのだった。
大臣として答弁する妻の政策を、与党にいながら夫が批判する。そんなねじれ現象が限界に達していたのだった。
2017年7月、二人は離婚届を提出したのだ。理由は「政治的スタンスの違い」だったのだ。
一般的な夫婦なら「性格の不一致」と書くところだが、彼らにとって政治とは生活そのものであり、政策の不一致は致命的な亀裂だったのだった。
「私と一緒にいると、あなたの政治活動がやりづらくなる」
「別れたほうが、お互いの信念を貫ける」
それは憎しみ合った末の別れではなく、互いの政治家としての信念を全うするための「戦略的撤退、つまり離婚」だったのだった。
奇妙なことに、離婚後も二人は友人として食事を共にし、政治談義に花を咲かせる関係が続いたのだった。
戸籍上の繋がりは消えても、政治家としての同志的な絆は、紙切れ一枚では切れなかったのだった。
(※この特殊な信頼関係が、数年後の「再婚」へと繋がる伏線となったのだ)
離婚と同じ2017年夏、高市氏は内閣改造に伴い、歴代最長在任記録を打ち立てた総務大臣を退任したのだった。
当時は「森友・加計学園問題」で安倍政権への逆風が吹き荒れており、人心一新のための交代劇だったのだ。
表舞台から一歩退いた高市氏だったが、彼女は立ち止まらなかった。
「これからの戦争は、陸海空ではない。サイバー空間だ」。
彼女は党の「サイバーセキュリティ対策本部」や「経済安全保障」の分野に没頭したのだった。
華やかなテレビ映えする仕事ではなかったのだ。
しかし、中国やロシアによるサイバー攻撃の脅威、技術流出の問題など、目に見えない国防の危機にいち早く着目したのだった。
この「浪人」ならぬ「雌伏」の期間に蓄えた専門知識が、後に彼女を「ただの保守おばさん」から、
「令和の安全保障を知悉(ちしつ)した実務家」へとアップデートさせることになったのだった。

2021年夏、菅義偉政権が行き詰まりを見せる中、高市早苗は動いたのだった。
彼女が向かったのは、病気療養中だった盟友・安倍晋三の元だった。
「総理、もう一度登板してください。日本にはあなたが必要です」
しかし、安倍氏は首を縦に振らなかった。
「体調もある。それに、一度退いた人間がすぐに出るべきではない」。
その瞳には、キングメーカーとして次世代を見極めようとする冷徹な光が宿っていたのだった。
ならば、誰がアベノミクスの火を継ぐのか。誰が「強い日本」を守るのか。「私が、やるしかない」彼女は決断したのだった。
当初、永田町の評価は散々なものだった。
「推薦人20人も集まらないだろう」
「泡沫(ほうまつ)候補だ」。
マスメディアは彼女を無視し、河野太郎氏や岸田文雄氏の動向ばかりを追っていたのだった。
しかし、潮目は劇的に変わったのだ。
沈黙を守っていた安倍晋三が、Twitter(現X)で高らかに宣言したのだった。
「高市早苗氏を支持します。彼女の国家観と政策は、日本の未来に必要です」この一言が、岩盤保守層に火をつけたのだった。
さらに、高市氏自身も討論会で圧倒的なパフォーマンスを見せつけたのだ。
「財政出動で経済を立て直す『サナエノミクス』」「電磁波やサイバー攻撃に対処する『敵基地攻撃能力』」
岸田氏や河野氏が曖昧な言葉でお茶を濁す中、彼女だけが具体的かつ戦闘的な政策を次々と打ち出したのだった。
「高市が一番まともじゃないか」。
ネットを中心に支持は爆発的に広がり、泡沫候補は一躍、台風の目となったのだった。
この激戦の中、一人の男が政治生命をかけた行動に出たのだった。
元夫・山本拓氏だったのだ。彼は当時、自民党のドン・二階俊博幹事長率いる「二階派」に所属していたのだった。
派閥の方針は高市支持ではなかったのだ。逆らえば、冷遇されるのは目に見えていたのだった。
しかし、彼は派閥の意向を無視し、元妻の推薦人集めに奔走したのだった。
「俺は高市早苗を応援する。文句があるなら除名してくれ」かつて自分が落選した時に支えてくれた元妻への恩義だった。
そして、政治家として彼女の実力を誰よりも認めていた彼は、自らの立場を捨てて「元妻の騎士(ナイト)」となる道を選んだのだった。
結果、高市氏は決選投票には進めなかったものの、議員票では河野太郎氏を上回る2位につける大健闘を見せたのだった。
この戦いで彼女は「安倍の傀儡」ではなく、「次期総理候補」としての地位を不動のものにしたのだった。
総裁選の直後に行われた衆議院選挙で、高市氏を全力で支えた山本拓氏は、その反動か、自身の選挙区で落選してしまったのだった。
「あんなに応援してくれたのに……」
高市氏は即座に決断したのだった。
かつて、自分が落選した時に彼がプロポーズしてくれたように。「今度は私が彼を支える番だ」。2021年12月、二人は再婚を発表したのだった。
感動的な復縁劇……かと思いきや、そこは高市早苗だったのだ。
「名字、どうする?」
「ジャンケンで決めようか」
政治家同士の再婚にあたり、どちらの姓を名乗るか揉めた二人は、まさかのジャンケン勝負だったのだ。
結果、高市氏が勝ち、夫が「高市拓」になることで決着したのだった。
しかし、活動名は山本拓のままだった。
この奇想天外な再婚報告を受けた安倍晋三氏は、目を丸くした後、ニヤリと笑ってこう言ったそうだった。
「アハハ、面白いじゃん。そういうところも、高市さんらしいね」

『慟哭の奈良 — 盟友の死と、継承される「闘う魂」』

2022年7月8日、午前11時30分過ぎ。
参議院選挙の応援演説で九州にいた高市早苗の携帯電話が鳴った。
「安倍元総理が、撃たれた」
場所は、奈良県・近鉄大和西大寺駅前だ。
耳を疑ったのだった。
そこは、高市氏自身の地元・奈良県であり、勝手知ったるホームグラウンドだったのだ。
「なぜ、よりにもよって奈良で……」
日本を守り抜こうとした盟友が、自分が守るべき地元で凶弾に倒れる。運命は、あまりにも残酷な皮肉を用意していたのだった。
すべての予定をキャンセルし、彼女は奈良県立医科大学附属病院へと急行したのだった。祈りは届かず、心肺停止の状態が続いていた。
病院に到着した高市氏は、集中治療室の前で、安倍夫人の昭恵さんの到着を待った。
そして午後5時3分、昭恵夫人が到着した直後、まるでそれを待っていたかのように、医師団による蘇生措置の終了が告げられた。
稀代の政治家・安倍晋三の死去だった。
変わり果てた盟友の姿に対面した高市氏は、後にその時の心情をこう語っていたのだった。
「両親を亡くした時よりも辛かった」
「自分の手足をもぎ取られたような感覚だった」
安倍晋三は高市早苗にとって、政治家としての師であり、最大の理解者であり、再婚を笑って祝福してくれた兄のような存在だった。
そのすべてを、理不尽な暴力によって永遠に奪われたのだった。
翌日、高市氏は事件現場である大和西大寺駅前を訪れた。まだ規制線が張られ、おびただしい数の献花が手向けられているその場所に立っていた。
SPに囲まれ、気丈に振る舞っていた「鉄の女」は、凶行が行われたガードレールのアスファルトに膝をつき、崩れ落ちるようにして泣いたのだった。
「守れなくて、ごめんなさい」
カメラの放列など目に入らない、なりふり構わぬ慟哭(どうこく)だった。
その姿は、政治家・高市早苗としてではなく、ただ一人の人間として、あまりにも深い悲しみを物語っていたのだった。
しかし、喪失感に浸る時間は許されなかったのだ。
犯人・山上徹也の動機が「旧統一教会」への恨みであると報じられると、世論の風向きは一変したのだ。
安倍氏への追悼ムードは一転して批判へと変わり、多くの議員が「関係を絶つ」と保身に走ったのだった。
そんな中、高市氏は一人、踏みとどまった。
「安倍総理が目指した『日本を取り戻す』戦いは、まだ終わっていない」
憲法改正、皇位継承問題、そして自身が担当大臣として進めていた「経済安全保障推進法」。
これらはすべて、安倍氏と共に描いた国家の設計図だったのだ。
「私が泣いている場合ではない。彼がやり残した仕事は、私が完遂するしかない」
高市早苗の瞳から涙は消え、代わりに鬼気迫る「覚悟」が宿ったのだった。
かつて「安倍の傀儡」と揶揄された彼女は、この日を境に、
安倍晋三という巨星の遺志を正統に受け継ぐ、自立した「保守の旗手」へと覚醒したのだった。

『捏造(ねつぞう)の罠と、奇跡の「除名」効果』

後ろ盾であった安倍晋三を失った高市早苗に、ハイエナたちは容赦なく襲いかかった。
2023年3月、立憲民主党の論客・小西洋之議員が国会で爆弾を炸裂させたのだ。
「総務省の内部文書を入手した。ここに、高市大臣が放送法の解釈変更を強要した記録がある」
それは、安倍政権時代の2014年〜2015年にかけて、官邸と総務省の間で交わされたとされる「行政文書」だったのだ。
メディアへの圧力を裏付ける証拠だとして、野党とマスコミは一斉に「高市辞めろ」の大合唱を始めたのだった。
しかし、高市氏はここで、永田町の常識を覆す反撃に出たのだった。
「その文書の内容は捏造(ねつぞう)です」
「もし真実であれば、大臣も辞めるし、国会議員も辞めます」
あやふやな答弁で逃げるのではなく、自らの政治生命そのものをチップとしてテーブルに叩きつけたのだった。
「捏造でなければ辞職」。
この退路を断った強気の姿勢に、野党側がたじろいだのだった。
結局、総務省の調査では「文書は存在するが、作成者の記憶が曖昧」「正確性は確認できない」という玉虫色の結論となり、
決定打を欠いた追及は尻すぼみに終わったのだった。かつて怪文書で泣き寝入りした彼女は、もうそこにはいなかった。
しかし、一難去ってまた一難だった。2023年末、今度は自民党そのものを揺るがす巨大スキャンダルが発覚したのだった。
「派閥の政治資金パーティー裏金事件」だった。
特に、最大派閥である安倍派(清和政策研究会)は、組織的なキックバックを行っていたとして特捜部のメスが入り、幹部たちが次々と立件・更迭されたのだった。
「安倍派は全滅だ」永田町に激震が走る中、人々は「元・安倍派」であり、安倍路線の継承者である高市早苗もただでは済まないと思っていたのだった。しかし、蓋を開けてみれば、高市氏は無傷だったのだ。
それは、なぜか。それは11年前の「あの決断」があったからだったのだ。
2012年の総裁選の時、彼女は派閥の長である町村信孝氏に逆らって安倍晋三氏を応援し、清和会を飛び出したのだった。
この時、彼女は「裏切り者」として派閥を追われ、無派閥となっていたのだった。
その結果、今回の組織的な裏金システムには関与しようがなかったのだった。
「派閥を抜けていて良かった……」
かつてリスクを冒して貫いた「安倍晋三への忠義」が、10年の時を経て、彼女自身を汚職の泥沼から救い上げる「蜘蛛の糸」となったのだった。
もちろん、叩けば埃が出ないわけではなかった。高市氏の政治団体にも、パーティー券収入の記載漏れが指摘されたのだった。
その額、44万円だった。
しかし、億単位の組織的な裏金作りを行っていた他議員とは質が異なり、
単なる事務的な記載ミスとして訂正・謝罪を行い、特捜部からも「不起訴」と判断されたのだった。
「運も実力のうち」と言うが、この絶体絶命の危機的状況下で、致命傷を避けて生き残るその悪運の強さは、まさに父が予言した通りだったのだった。

『天命の刻 — 日本初の女性総理、誕生』

2024年9月、自民党総裁選で高市早苗は、党員票で圧倒的な支持を集め、第1回投票で見事にトップに立ったのだった。
「ついに、初の女性総理が誕生する」日本中がそう確信した瞬間だったのだ。
しかし、決選投票で待っていたのは、石破茂氏へのまさかの逆転負けだったのだ。表向きの敗因は「演説のタイムオーバー」だった。
高市氏が熱い想いを語りすぎて持ち時間を超過したのに対し、石破氏が時間を厳守したことが、議員心理に影響したと報じられたのだった。
しかし、永田町の深層を知る者は皆、気づいていた。
「あれは、保守潰しだ」媚中派と呼ばれる議員たちや、既得権益を恐れる旧態依然とした長老たちが、「高市早苗という劇薬」を葬り去るために結託したクーデターだったのだ。
ルール違反という些末な理由を口実に、党員票が永田町の論理に圧殺された瞬間だったのだ。
石破政権が誕生すると、予想通り「保守の大粛清」が始まった。
高市氏に近い議員は要職から外され、徹底的な「冷や飯」を食わされたのだ。しかし、彼女は腐らなかった。
「今は耐える時だ」。
そんな彼女の元を、夜陰に乗じて訪れた一人の男がいた。キングメーカー、麻生太郎氏だ。
彼もまた、石破政権下で非主流派に追いやられていた。
「高市、準備しておけ。この政権は長く持たん」
麻生氏は、石破政権の基盤の脆さと、経済政策の失敗を見抜いていたのだった。
「次は俺が絵を描く。お前が神輿に乗れ」。
利害が一致した二人は、屈辱の冬を耐え忍びながら、次なる戦いに向けて牙を研ぎ澄ませたのだった。
2025年、政局は大きく揺れ動いた。支持率低迷に苦しんでいた石破茂政権に対し、連立パートナーである公明党が距離を取り始めたのだった。
国会では重要法案の採決が不透明となり、与党の結束に疑問符が付けられた。
党首会談は断続的に行われたものの、政策修正をめぐる溝は埋まらず、政治の主導権をめぐる駆け引きは激しさを増していったのだった。
こうした状況の中で、政権運営は一気に不安定化し、与党の求心力は低下し、次のリーダー像をめぐる議論が永田町で急速に浮上したのだった。
日本の進路を左右する「次の一手」が、現実の政治課題として突きつけられることになったのだ。
そして、この混迷の時代に、ある政治家の存在感が急速に高まっていったのだ。
その人物こそが、高市早苗だった。
「もう、この国を任せられるのは、ブレないあの人しかいない」
国民の視線は、冷や飯を食いながらも正論を吐き続けてきた、高市早苗に注がれたのだった。
石破総理の退陣に伴う、自民党総裁選への高市早苗は三度目の出馬だった。今回の彼女に、死角はなかった。
麻生太郎氏が敷いた緻密な「票割り」戦略、旧安倍派の再結集、そして何より、「今度こそ高市を勝たせる」という党員の熱狂的な支持だったのだ。
そして日本国民もそれを支持した。
小泉進次郎氏ら「刷新感」だけの候補を、圧倒的な「国家観」と「実務能力」でねじ伏せ、決選投票で圧勝したのだった。
2025年10月4日、ついに第103代内閣総理大臣・高市早苗が誕生したのだった。組閣後の支持率は、歴代2位となる驚異の82%だったのだ。
第103代内閣総理大臣、高市早苗に脅しをかけたが結局、公明党は自ら政権離脱することとなったのだ。
彼女は即座に日本維新の会との連立政権を樹立し、保守と改革の融合を掲げたのだった。
公明党はなんとあろうことか立憲民主党と合流し、新党「中道改革連合(中革連)」を結成するという禁じ手に出たのだった。
「自民党を過半数割れに追い込む」野党第一党と巨大組織票の合体だった。しかしその理念なき数合わせに有権者はNOを突きつけた。
そして迎えた2026年2月8日、衆議院総選挙での「中革連」の自滅的混乱を尻目に、高市自民党は単独で絶対安定多数を獲得する歴史的勝利を収めたのだ。
勝利宣言の壇上。日の丸の旗が揺れる中、高市総理は静かに、しかし力強く語り始めたのだった。
「私は、日本と日本人の底力を信じてやまない者として、この場に立っております。
普通の家庭に生まれた私が、数多の炎上、落選、裏切り、そして最愛の盟友との別れを乗り越え、
今日ここにいる。それは、日本の民主主義がまだ死んでいない証です」
彼女の視線は、遠く未来を見据えていた。
「総理大臣になることがゴールではありません。ここが、日本を取り戻すためのスタートラインです。世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す。
経済を強くし、国民の暮らしを守り抜く。どうか皆様、私と共に、日本の新たな一歩を踏み出しましょう」
万雷の拍手の中、彼女は深く頭を下げたのだった。かつて父が言った「お前は運が強い」という言葉。そして安倍晋三が託した「美しい国」へのバトン。そのすべてを背負い、鉄の女・高市早苗の、日本国総理大臣としての本当の戦いが、今ここから始まるのだ。

【未完】

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