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『六十八歳の終着駅:熟年離婚から自立への旅路』

「お母さん、うちは無理だよ」
受話器の向こうから届いた息子の声は、刃物のように鋭く、そして救いようのないほど事務的でした。
すがるような思いで握りしめていたスマートフォンから、プツリと無機質な切断音が響く。
その瞬間、窓から差し込む西日に照らされていたはずの視界が、一気に深い闇の底へと沈み込んでいくような錯覚に陥りました。
私は六十八歳。
「熟年離婚」という言葉が持つ、どこか甘美な解放感に背中を押され、夫の執拗な暴言や、凍りついたような無視が続く日々から逃れるように家を飛び出しました。
しかし、自由と引き換えに私が突きつけられたのは、社会という冷徹な機構が静かに、けれど強固に築き上げた「居場所のなさ」という名の断崖絶壁でした。
最大の誤算は、「住む場所」という生存の基盤そのものでした。
不動産屋のカウンターで、私は何度も、自らの存在を否定されるような言葉を浴びせられました。
「保証人がいらっしゃらないと……」
「そのご年齢の一人身の方には、大家さんが首を縦に振らなくて」。
六十代後半、無職、保証人なし。
社会の秤(はかり)にかけられた私は、もはや「信用」という名の通貨を一切持ち合わせていない、透明な存在に過ぎませんでした。
財産分与で手にした三百万円という蓄えも、UR賃貸の入居条件という高い壁の前では、波にさらわれるのを待つばかりの心もとない砂の城でしかありませんでした。
今、私は「シェアハウス」と呼ばれる、若者向けの安宿の片隅に身を寄せています。
そこは、本来なら「繋がり」や「交流」を謳う場所であるはずなのに、今の私にとっては、己の孤独をより残酷に際立たせる場所でしかありません。
夕食時、空腹に促されて共同キッチンへ向かうと、そこは眩しすぎるほどの熱気に包まれています。
二十代そこそこの若者たちが、スマートフォンで動画を流しながら、大笑いしてパスタを茹でている。
彼らにとってこの場所は、輝かしい未来へ向かうための通過点であり、一時的な「基地」に過ぎないのでしょう。
私は、彼らが使い終わるのをキッチンの隅で、息を潜めるようにして待ちます。
「あ、お先にどうぞ」 一人の青年が、屈託のない笑顔で場所を譲ってくれました。
その無垢な親切が、かえって毒のように胸に刺さります。
彼らの瞳に映る私は、血の通った住人ではなく、廊下に置かれた古びた家具と同じような「風景の一部」に過ぎないのだと、痛いほど分かってしまうからです。
彼らが賑やかに囲む食卓の傍らで、私は一人、小さな鍋で味噌汁を温めます。
出汁の香りがふわりと広がった瞬間、不意に、かつての自分のキッチンが脳裏を鮮明に横切りました。
磨き上げられたステンレスの流し台、家族の好みに合わせて揃えた食器棚、陽光を浴びていた窓辺の植木鉢。
四十年間、私が誇りを持って守り続けてきたあの「城」は、もう世界のどこにも存在しないのです。
若者たちの会話には、聞いたこともない横文字や略語が飛び交い、私にはま全く理解できません。
彼らと私の間に流れる時間は、単なる年の差ではなく、決して埋めることのできない暗く深い淵のようです。
同じ屋根の下に暮らし、同じ空気を吸っているのに、そこには私の存在はなくまるで透明人間のようでした。
私は冷えた食事を手に自室へと逃げるように戻りました。
廊下を歩けば、古い油と誰かの作った異国のスパイスが混じり合った、むせ返るような生活臭が漂っています。トイレも、洗面所も、すべてが共用です。
薄い壁一枚を隔てた隣の部屋からは、深夜まで話し声や音楽が漏れ聞こえ、私の静寂を容赦なくかき乱します。
けれど、そんな耳障りな騒音の中に身を置いていると、不思議な、そしてあまりに皮肉な感情が込み上げてくるのです。
あんなに憎み、呪い続けた元夫の、地響きのようなあのいびき。
それが、今ではどうしようもなく懐かしく、温かなものに思えてなりません。
あの音に苛立っていた日々、私は少なくとも、誰かと同じ場所にいたのです。
「帰りたい」 その言葉が、熱い塊となって喉元までせり上がってきます。
けれど、自ら自由を叫んで家を捨てた私が、今さらどの面を下げてあの玄関を叩けるというのでしょう。
捨てきれないプライドが、私の足をこの冷たいクッションフロアに縫い付けています。
深夜、天井の染みを見つめていると、「孤独死」という四文字が、影のようにゆっくりと部屋を侵食してきます。
もし今、私がこの部屋で息を引き取ったら、誰が気づいてくれるだろう。
この喧騒の中にいる若者たちが、私の異変に気づくのは、一体いつになるだろう。
都会の片隅、シャカシャカという自分の安っぽい衣擦れの音だけが響く狭い部屋で、私は今日も、戻ることのできない過去と、霧に包まれた明日との間で、ただ静かに震えています。
ここの生活に慣れることはありませんでしたが他に行くところはありません。
薄暗い部屋で、コンビニで買った割引シールの貼られた菓子パンを齧っていると、不意に、鼻の奥がツンとするような記憶の香りが蘇ります。
それは、まだ「家族」という形が確かな重みを持っていた頃の、日曜日の朝の匂い。
かつての自宅のダイニングには、夫と背伸びをして選んだ、重厚なオーク材のテーブルがありました。
磨き上げられたその木肌は、朝日を浴びて琥珀色に輝き、私はその上に季節の花を活けた小瓶と、丁寧にアイロンをかけたリネンを広げるのが習慣でした。
夫は無口な人でしたが、焼きたてのトーストと、淹れたての珈琲の香りが漂うなかで、新聞をめくる規則正しい音を響かせていました。
あの紙が擦れる乾いた音さえ、当時の私にとっては、この家が、そして私の人生が揺るぎない平穏の中にあることを保証する、心地よいリズムだったのです。
「お父さん、おかわりは?」
そう問いかける私の声に、彼は短く
「あぁ」
とだけ応える。
たったそれだけのやり取り。けれどその瞬間、私は間違いなくこの家の「主」であり、誰かに必要とされ、守られているという確信に包まれていました。
視線を落とせば、今の私の食卓は、膝の上に広げたコンビニの袋です。 オーク材のテーブルの代わりに、傷だらけのプラスチックの床。
芳醇な珈琲の香りの代わりに、廊下から漂う古い洗剤の匂い。
新聞をめくる知的な音の代わりに、壁の向こうで響く若者たちの無遠慮な笑い声。
四十年間、私が積み上げてきたはずの「丁寧な暮らし」は、一体どこへ消えてしまったのでしょうか。
あの頃、当たり前だと思っていた質の良い陶器のカップの重みや、窓から見えた手入れの行き届いた庭の緑。それらはすべて、夫という太い柱に支えられた、かりそめの舞台装置に過ぎなかったのです。
柱を自ら切り倒した今、私は舞台を追われ、舞台裏の冷たい地面に放り出された端役のとどこが違うのでしょうか。
一口飲み込んだパンは、砂のように味気なく、喉にひっかかります。
あれほど疎ましく、私を縛り付けていると感じていた「家庭」という名の檻。
けれど、その檻は同時に、私を外の荒野から守る、この上なく頑丈な「シェルター」でもあったのだと、今さらながら思い知らされています。
窓の外に広がる都会の夜景は、かつての私のリビングから見えた景色よりもずっと明るいのに、今の私には、指先一つ照らす灯りさえ見つけられそうにありません。

ある深夜、共同の洗面台へ向かった時のことです。
若者たちの騒がしい声がようやく止み、家全体が重苦しい静寂に包まれた頃、私はそこで「彼女」に出会いました。
薄暗い電球の下、猫背で一心不乱にハンカチを洗っている女性がいました。
私より少し年上でしょうか、七十代半ばとおぼしきその背中には、このシェアハウスの住人たちが纏っている軽やかさとは無縁の、澱(よどみ)のような重みが張り付いていました。
彼女が濯(すす)いでいたのは、古びてはいるものの、縁に繊細な刺繍が施された高価なリネンのハンカチでした。この殺風景なプラスチックの洗面台には、あまりに不釣り合いなその白さに、私は思わず足を止めました。
「……夜分に、失礼します」
私が小さく声をかけると、彼女はびくりと肩を揺らし、ゆっくりとこちらを振り向きました。
その瞳に宿っていたのは、私自身の鏡を見るような、深い諦念と怯えの色でした。
「いえ……。この時間は、静かでいいわね」
彼女の声は、かつては多くの客人を迎えていたであろう、凛とした気品を微かに残していました。
彼女もまた、私と同じだったのです。聞けば、彼女は元・開業医の妻。
私と同じように「自分自身の人生」を求めて熟年離婚を選び、そして、この「終着駅」へと辿り着いたのだと言いました。
「自由になれば、どこへでも行けると思っていたの。でもね、社会というところは、私たちのような女が一人で歩くには、あまりに地面が冷たすぎたわ」
彼女は、濡れたハンカチを丁寧に、それこそ宝物を扱うような手つきで絞りながら、自嘲気味に微笑みました。
「かつては、庭のバラを飾る花瓶の色で悩んでいたのよ。それが今では、百円ショップの石鹸一つを使い切るのを惜しんでいる。滑稽でしょう?」
その言葉は、私の胸の最も柔らかい場所を容赦なく抉(えぐ)りました。
私たちは、同じ「かつての女王」であり、今は「名前のない老人」でした。
広いリビング、磨かれた床、誰かに必要とされていた肩書き。
それらを脱ぎ捨てれば、残ったのは自力では立ち上がることすら危うい、痩せ細った自尊心だけでした。
彼女が立ち去った後の洗面所には、安物の石鹸の香りと、消え入るような孤独の残香だけが漂っていました。 私たちは、言葉を交わすことで慰め合うことすらできません。
なぜなら、彼女の姿は、私自身の「数年後の未来」をあまりに鮮明に映し出していたからです。
部屋に戻り、薄い壁の向こうから聞こえる誰かの寝息に耳を澄ませながら、私は思いました。
このシェアハウスには、こうして誰にも気づかれずに、かつての栄光をすり潰しながら生きている「私たち」が、他にも潜んでいるのではないか。
賑やかな若者たちの影に隠れ、透明な存在として呼吸を繋ぐ、かつての主婦たち。
私たちは、自由という名の荒野で出会い、そして名前も知らぬまま、それぞれの絶望へと帰っていくのです。
過酷な現実という名の泥濘(ぬかるみ)を歩くような日々の中で、私は、誰にも奪われない「自分だけの聖域」を見つけました。
それは、この騒々しいシェアハウスが、一瞬だけ深い眠りにつく夜明け前の数十分間です。
朝の五時。若者たちが深夜までの狂騒を終え、死んだように眠りについている頃、私は物音を立てないよう静かに部屋を抜け出します。
冷え切った共同キッチンの空気は、この時間だけは清浄で、誰の気配もありません。
私は使い込まれたスポンジを手に取り、シンクを磨き始めます。
四十年間、家の隅々まで磨き上げてきた指先が、その感触を覚えているのです。
こびりついた汚れを丁寧に落とし、水滴を拭き上げると、曇っていたステンレスが鏡のように光を跳ね返し始めます。
それは、社会から「無価値」と断じられた私が、自らの手でこの世界に「秩序」を取り戻す、密やかな儀式でした。
磨き上げたシンクに、持参した小さなティーカップを置きます。それは、あの家を出る際、唯一持ち出したノリタケの古いカップです。
安物のティーバッグにお湯を注ぎ、立ち上がる湯気の向こうに、私は自分自身の「輪郭」を確かめます。
窓から差し込む、青白い夜明けの光。
それが、鏡のように磨かれたシンクに反射して、私の手元を優しく照らします。
「……美味しい」
ふと、独り言が漏れました。
誰かのために作るのではない、自分のためだけに淹れた一杯の温もり。
かつての広いリビングで、高価な茶葉を淹れていた時よりも、この一口が、私の凍りついた心をずっと深く潤してくれるのです。
若者たちが起きてくれば、私はまた「風景の一部」に戻るでしょう。
彼らが無造作にキッチンを汚し、私の磨き上げた静寂を騒音で塗り潰していくことも分かっています。
けれど、この磨き上げられたステンレスの輝きを知っているのは、世界で私一人だけ。
その小さな優越感と、指先に残る確かな仕事の感触。 それは、三百万円の通帳の残高よりも、私の崩れかけた自尊心を支えてくれる、たった一つの、けれど確かな「生きている証」でした。
たとえ明日、また孤独という悪魔に襲われ、息子からの冷たい拒絶に涙したとしても。
この夜明けの光がある限り、私はまだ、自分の人生を諦めずにいられるような気がするのです。
私は、ゆっくりと最後の一口を飲み干し、まだ温かいカップを愛おしむように両手で包み込みました。
シャカシャカという、あの寂しい衣擦れの音が、この瞬間だけは、私の奏でる小さな凱歌(がいか)のように聞こえました。
ーーーー
長く、凍てつくような冬が、ようやくその重い腰を上げようとしていました。
あれほど私を硬く縛り付けていたダウンコートのファスナーを、ある朝、少しだけ下げてみました。
それだけで、肺の奥まで冷気が入り込んでいた冬とは違い、微かな湿り気を帯びた風が、私の喉元を撫でていきました。
世間では桜の開花予想が語られ、シェアハウスの若者たちは、浮き足立った様子で花見の計画を立てています。薄い壁越しに聞こえる「新しい生活」や「出会い」という言葉の響きは、かつての私なら、春の訪れを告げる福音(ふくいん)のように聞こえたことでしょう。
けれど今の私にとって、それは遠い異国の祭りの喧騒を聞くような、どこか他人事のような響きでした。
相変わらず、長男からの連絡はありません。
あの「うちは無理だよ」という拒絶の言葉は、冬の氷のように私の心に深く突き刺さったまま、溶ける気配もありません。
かつて、私が心血を注いで育て、守ってきた「家族」という幻想は、この冬の寒さとともに、完全な死を迎えたのだと悟りました。
けれど、五時半のキッチンの光は、確実に色を変えていました。
冬の間、刺すように鋭かった青白い闇は、今では柔らかな乳白色のベールを纏い、私が磨き上げたステンレスのシンクを、黄金色に染め上げています。
いつものようにノリタケのカップに安物の紅茶を注ぎ、湯気を見つめます。
ふと、窓の外の街路樹に、小さく、けれど固く結ばれた蕾を見つけました。
誰に頼まれるでもなく、冷たいアスファルトの上で、ただ自らの生命を全うしようとするその姿。
「……私も、生きているわ」
その言葉は、もはや悲鳴でも、嘆きでもありませんでした。
それは、すべてを失い、社会の底辺で透明な存在となった私が、ようやく自分の足でこの冷たい地面を踏みしめているという、静かな、けれど確かな肯定でした。
かつての私は、夫という太陽に照らされることでしか輝けない月のような存在でした。
けれど今は違います。誰の目にも触れず、誰に賞賛されずとも、私は私自身のためにこのシンクを磨き、この一杯の紅茶を愛おしむことができる。
ダウンコートを脱ぎ、クローゼットの隅へ押し込みました。
それは、私を凍死から守ってくれた鎧であると同時に、過去への執着という重石でもありました。
明日の食費を計算する指先は震えます。
孤独死という影が、完全に消えたわけでもありません。けれど、磨き抜かれたシンクに反射する春の光は、私にこう告げているような気がしました。
「女王でなくてもいい。ただ一人の人間として、この朝を迎えられたなら、それで十分ではないか」と。
私は、空になったカップをゆっくりと洗いました。
指先に触れる水の冷たさは、もう、私を傷つけるほどではありませんでした。 都会の片隅、名もなき老女の春が、静かに、けれど確かに始まろうとしていました。
シェアハウスの契約満了の日、私は最後にもう一度だけ、あの夜明けの儀式を行いました。
午前五時。
まだ住人たちの寝息が廊下に満ちるなか、私はいつものようにシンクを磨き上げました。
これが、この場所への私なりの感謝であり、訣別(けつべつ)の形でした。
ピカピカに光るステンレスに、私の痩せた、けれど冬の頃よりは少しだけ顔色の良くなった輪郭が映り込んでいます。
部屋に戻り、わずかな荷物をまとめました。
段ボール箱はたったの三つ。
四十年の生活を清算したあとに残ったのは、着古した服と、数冊の本、そして新聞紙に幾重にも包んだあのノリタケのティーカップだけです。
「……お世話になりました」
誰にともなく呟き、私は部屋の鍵を置きました。
かつては「夫のいびきすら懐かしい」と泣いたこの場所を去るいま、私の胸にあるのは、不思議なほど凪(なぎ)いだ静寂でした。
新しい住処(すみか)は、郊外にある築四十年、家賃三万八千円の小さなアパートです。
不動産屋で見つけるのは相変わらず困難でしたが、シルバー人材センターを通じて紹介された清掃の仕事に就くことを条件に、ようやく一人の大家さんが首を縦に振ってくれたのです。
バスに揺られ、辿り着いたその部屋は、四畳半と六畳の、陽当たりの良い1Kでした。
シェアハウスのあのむせ返るようなスパイスの匂いも、深夜まで響く若者の笑い声もありません。
ただ、開け放した窓から、近所の公園で遊ぶ子どもたちの声と、どこかの家の夕飯の支度の匂いが、春風に乗って優しく流れ込んできます。
私は、まだ何もないキッチンの小さな棚に、あのカップを置きました。
「お母さん、うちは無理だよ」 あの時、息子が放った言葉は、今でも時折、不意に胸を抉ります。
けれど、もはやそれを恨む気持ちはありません。
私は「誰かの母親」でも「誰かの妻」でもなく、ただの「私」として、この冷たい地面に根を張る覚悟を決めたのです。
夕暮れ時、私は近所のスーパーへ向かいました。 特売の卵と、一株の小さなパンジーの鉢植えをカゴに入れます。
三百万円の貯金は着実に減っていますが、自分で働いて稼ぐ数万円の重みを、私はこの年になって初めて知りました。
それは、夫の給料袋を管理していた時とは全く違う、私の指先に確かな熱を与える「命の糧」でした。
アパートへ戻り、買ってきたパンジーを窓辺に置きました。
夕日に照らされた紫の花びらが、私の質素な新しい「城」をささやかに彩ります。
「さあ、始めましょうか」
私は、ノリタケのカップにゆっくりとお湯を注ぎました。
一口飲むと、春の夕闇がゆっくりと部屋を満たしていきます。
孤独は、消えたわけではありません。これからも、不意の病や老いに怯える夜は来るでしょう。
けれど、この一口の温もりと、窓辺の花と、明日また仕事へ向かう自分の足があれば、私は生きていける。
ダウンコートを脱ぎ捨てた背中は、驚くほど軽くなっていました。
都会の片隅、名前も持たない一人の女性として、私はようやく、自分自身の人生の、本当の第一歩を刻み始めたのです。

一本の私小説としてつながりを意識して、成り立つようにリライトしてください。

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