
選ばれたかった男 ― 救世主から独裁者へ--後編ーー

プロローグ:神になろうとした男
1995年(平成7年)3月20日、午前8時。 東京都心を網の目のように走る地下鉄の車内は、いつもの月曜日と変わらぬ、息苦しくも平穏な朝を迎えていた。吊り革に掴まって新聞を読む会社員、眠そうにうつむく学生。誰もが、昨日までと地続きの平凡な一日の始まりを疑っていなかった。
しかし、その日常は突如として、音もなく終わりを告げる。日本の心臓部である霞ケ関や永田町を通る3つの路線、5本の車両。その床に置かれた茶褐色の液体パックが、先を尖らせたビニール傘の先端で突き刺された。前夜に急造された、不純物まみれの化学兵器――猛毒の神経ガス「サリン」が車内に蒸発し、静かに広がっていった。
乗客たちは突然、激しい咳や呼吸困難に襲われた。瞳孔が極限まで収縮する「縮瞳」によって視界を奪われる者。口から泡を吹き、ホームへともんどり打って倒れ込む者。全身を激しい痙攣に折り曲げる者。異変を察知して救助に向かった駅員や救急隊員までもが目に見えない毒ガスに蝕まれ、地下鉄網は瞬く間に、戦後日本が経験したことのない凄惨な戦場へと変貌した。
14人の命が奪われ、負傷者は6,000人を超えた。のちに、重い後遺症と闘いつづけた人々が静かに世を去り、犠牲者の数はさらに増えていくことになる。 世界の報道が一斉にこの国へと目を向け、そして、誰もが同じ問いを抱いた。 なぜ、こんなことが起きたのか。なぜ、悟りを説くはずの宗教団体が、化学兵器を造り、見ず知らずの人々に牙を剝いたのか。世界中を震撼させたこの未曾有の凶行の中心に、一人の男がいた。 オウム真理教の教祖、麻原彰晃。本名、松本智津夫。
のちに死刑を執行されることになるこの男を、世間は「平成最大の犯罪者」「怪物の教祖」と呼んだ。 だが、この男は、最初から怪物として生まれてきたわけではない。
智津夫は、熊本のどん底の貧困に喘ぐ畳職人の家に生まれ、重い視覚障害というハンディキャップを背負わされ、親元を離れた盲学校の寄宿舎で強烈な孤独を抱えて育った少年だった。現世のシステムで人並み外れた向上心を持ちながらも、医師、東大、政治家、実業と、あらゆる挑戦でことごとく拒絶され続けた男が、松本智津夫の本来の姿だった。
その半生は、成功よりも、はるかに多くの挫折で織られていた。 それでも彼は、ただ一つ、諦めることだけはしなかった。現実社会のルールが自分を認めないのなら、ルールそのものが存在しない「別の世界」で頂点に立てばいい。そう考えた彼はやがて、ヨガと宗教の世界へ深く足を踏み入れていく。
時代は、彼に味方しているように見えた。 彼が逃げ込んだ1980年代半ばの日本は、空前の精神世界・オカルトブームのただなかにあった。超能力、超古代文明、ノストラダムスの大予言、UFO。近代化の息苦しさに悩む若者たちが、目に見えない神秘世界に答えを求めていた。そんな時代だった。
麻原はその時代の空気を、誰よりも敏感に、本能的に感知した。 自らの修行体験を語り、空中浮揚を演じ、超能力を語り、そして――人類の救済を説いた。
その圧倒的な確信に満ちた言葉は、若者たちの心を捉えた。 東京大学、京都大学、早稲田、慶應。日本有数の最高学府で学ぶ、純粋で優秀な若きエリートたちが、次々と彼のもとへ集まっていった。 彼らは、金や名誉のために来たのではなかった。本気で世界を変えたいと願い、本気で人類を救いたいと願っていたのだ。
そして、麻原自身もまた――少なくとも、はじめのうちは――本気だったのかもしれない。だが、俗世の敗北者が手に入れた「師(グル)」という絶対的な全能感は、その理想を少しずつ歪ませていく。 救済は、支配へ。 信仰は、服従へ。 ひらかれた共同体は、閉ざされた王国へ。
「私は、最終解脱者である」
「ハルマゲドンは、必ず来る」
「私だけが、人類を救える」
かつて、ただ誰かに認められ、選ばれたかった一人の少年は、信者たちから「尊師」と崇め奉られるうちに、いつしか自らを本物の救世主、世界を支配すべき「神」だと錯覚し、やがて本気で信じ込むようになっていた。 そしてその肥大化した妄想が、やがて、日本の歴史にその名を刻む、最悪のカルトテロ事件へとつながっていく。
これは、単なる一つの犯罪の記録ではない。 一人の人間がどのようにして現実の重力を失い、自らの手で築き上げた妄想の王国の主になろうとしたのか。その狂気の軌跡をたどる物語である。
選ばれたかった少年は、なぜ、神になろうとしたのか。 その答えは、1980年代半ばの、ある小さなヨガ教室から始まる。
第一章 最終解脱
1985年(昭和60年)。 東京・渋谷のマンションの一室で、その静かな異変は始まっていた。
当時30歳の麻原彰晃は、まだ世間にはほとんど名を知られていない、風変わりなヨガ教室の指導者に過ぎなかった。しかし、その年の秋、一枚のモノクロ写真が彼の運命を狂わせこととなる。
オカルト雑誌『トワイライトゾーン』の誌面に、畳の上で足を組み、目を閉じたまま宙に浮かんでいるように見える麻原の姿が掲載された。のちに『ムー』などの雑誌でも大々的に取り上げられることになる、あの「空中浮揚」の写真である。 後年になって振り返れば、それは座禅の姿勢のまま筋肉の反発でジャンプした瞬間を捉えた、ただのストロボ撮影の悪戯に過ぎなかった。
だが、1980年代半ばの日本社会は、超能力ブーム、ノストラダムスの予言、UFO、失われた超古代文明。科学万能主義の裏側で、テレビも雑誌も神秘の現象を大真面目に取り上げていた時代である。 人々は、近代化の息苦しさのなかで、科学だけでは説明のつかない「何か」を、強烈に求めていた。
麻原は、その時代の渇きを本能的に嗅ぎ取っていたのだ。 若者たちは最初、興味本位で渋谷の道場を訪れた。
しかし、その多くの若者はそのまま帰らなかった。彼らがそこで見たのは、単なる健康体操としてのヨガではなかったからだ。 そこには、現世の価値観を凡夫の妄想と一蹴する圧倒的な理想があり、何より――「選ばれた特別な存在になれる」という、強烈な希望に満ちた未来が提示されていた。
当時の入会者には、東京大学や京都大学をはじめ、日本有数の最高学府に学ぶ若きエリートが少なくなかった。 高度経済成長はすでに終わり、受験競争を勝ち抜いてもなお、人生の意味を見出せない若者たち。一流企業の歯車となる未来に息苦しさを覚える天才たち。彼らが求めていたのは、現世の成功ではなく、魂の救済だった。 麻原は、そんな彼らに語りかけた。
「人間には、無限の可能性がある」
「修行を積めば、超能力は花開く」
「悟りは、誰にでも到達できる」
その言葉は、あまりにも魅力的だった。なぜなら、それは「努力すれば東大に入れる」という次元の話ではなかったからだ。「努力すれば、仏陀(ぶっだ)になれる」という、強烈な逆転の物語だったからである。若者たちは、こぞってその未来に魂を委ねた。
やがて神奈川県丹沢山系の麓で開かれた一週間に及ぶ集中修行セミナーで、麻原は一つの決定的な儀式を行う。それは「シャクティパット」と呼ばれた。 麻原が信者の額や頭部に直接手を当て、自らの霊的エネルギーを送り込むことで、体内に眠る聖なるエネルギーである「クンダリニー」を強制的に覚醒させるという密教的な儀礼である。
薄暗い部屋で、信者たちは列を作り、緊張した面持ちで麻原の前に座る。麻原は一人ひとりの額に親指を強く押し当てた。 その時間は数十分から、時には一時間を超えることもあった。滴る汗を拭いもせず、麻原は声を絞り出すように語りかけた。
「君の中で、エネルギーが動き始めている……あと少しだ。恐れる必要はない」
当時の参加者たちは口を揃えて証言する。この頃の麻原は、ほとんど眠っていなかった、と。 夜遅くまで若者たちの人生の悩みに耳を傾け、朝になれば誰よりも早く道場に立って修行を指導した。夜になれば、また誰かの孤独に寄り添った。
この時、麻原の中にあった熱量は、すべてが演技だったわけではないだろう。なぜなら、彼自身もまた、誰よりも「救われたい人間」だったからだ。 親元を離れた盲学校での強烈な孤独、東大受験の度重なる失敗、漢方薬の詐欺的販売による薬事法違反での逮捕。数えきれない惨めな敗北の歴史を、ヨガという絶対的な精神世界によって乗り越えようとしていたのは、麻原自身に他ならなかった。
修行に苦しむ信者に彼がかけた言葉には、挫折を知り尽くした男特有の、奇妙な、しかし凄まじい説得力が宿っていた。
「私も、最初は苦しかった。何度も諦めたくなった。だが、続けた。だから、君にもできる」
1986年3月。著書『超能力「秘密の開発法」』が出版されると、会員数は爆発的に急増する。表紙を飾ったのは、またしてもあの空中浮揚の写真だった。
しかし、集まる信者が彼を「超能力者」「悟りを開いた聖者」「生きた仏陀」と崇め奉るにつれ、麻原の脳内では不気味な地殻変動が起きていた。他者から繰り返し「神」と呼ばれる環境は、彼の脆い自尊心を異常なまでに肥大化させていく。人は他人から神と呼ばれ続けると、いつしか自分でも神になった気がしてくるのだ。麻原もまた、その例外ではなかった。
同年五月、麻原は数名の側近を連れて、ついに仏教の聖地・インドへと旅立つ。目指すはヒマラヤの深淵、そして「最終解脱」の獲得だった。
現地で著名なヨギであるパイロット・ババらと接触したとされる麻原は、帰国後、信者たちの前で厳かに宣言した。
「私は、最終解脱を達成した」
仏教において、解脱とは煩悩を完全に滅ぼし、あらゆる縛りから自由になった究極の境地をいう。それを達成したと自称した瞬間、ここが、引き返せない決定的な分かれ道となった。
それまでの麻原は、修行者だった。信者たちと共に苦しみ、共に高みを目指す「修行者の先頭」に立つ男だった。だが、最終解脱を宣言したその時から、立場が完全に裏返る。
修行する側から、絶対的に導く側へ。学ぶ側から、全知全能の教えを授ける側へ。そして、人間から――「救世主」へ。
帰国した麻原は、団体の方向性を大きく変え始める。ただのサークルに過ぎなかった「オウムの会」を「オウム神仙の会」へと改組し、健康法から宗教へ、修行の場から本格的な宗教組織への道を歩み始める。のちに日本社会を震撼させることになる巨大教団の原型が、このとき静かに、しかし確実に姿を現しつつあった。
現世の敗北者だった男が、ついに完璧な「教祖」へとその脱皮を完了した瞬間だった。そして麻原自身もまた、気づかぬうちに、もう二度と後戻りのできない破滅への道へと、深く足を踏み入れていたのである。
第二章 理想郷シャンバラ
1987年(昭和62年)。 麻原彰晃は、自らを「最終解脱者」と称するようになっていた。
かつては、信者たちと同じ座布団に腰をおろし、ともに汗を流す、一人の修行者にすぎなかった。だが、いまは違う。彼は悟りを開いた絶対者であり、信者たちはただ導かれるだけの凡夫だった。二人を隔てる境界線は、日を追うごとに深く、険しくなっていった。
そして、麻原の夢もまた、底なしの誇大妄想へと膨れ上がっていく。 最初は、自分一人が救われたかった。次に、目の前の弟子たちを救いたいと思った。だが今や、それでは彼の肥大化した承認欲求は満たされない。日本全体を、世界を、この俺の思想で救済する――。
同年7月、団体名を「オウム神仙の会」から「オウム真理教」へと変更。原始仏教やチベット密教を基盤とする、正統な宗教組織であることを前面に打ち出した。
そこには、宗教法人としての認証を得て税制上の優遇措置を受け、組織をさらに巨大化させるという現実的な計算もあったが、麻原が何より渇望したのは、既成社会から公に認められる「絶対的な権威」だった。
一興隆の新興宗教に過ぎなかったオウムに絶対的な箔をつけるため、麻原が目をつけたのが、世界的なカリスマであるチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世であった。
麻原は巧妙に国内のチベット関係者に近づき、自らの修行実績のアピールを執拗に繰り返した末、ついにインド・ダラムサラでの面会を取り付ける。面会の席で、麻原は熱弁を振るった。
「今の日本の精神文化は完全に堕落している。チベット仏教の真理こそが未来を救う。私はその架け橋になりたいのです」
さらに彼は、
「私は釈迦の次の段階に到達している」
とまで言い放ったとされる。
温厚な人物として知られるダライ・ラマ側にとっては、それは外交的な親善面会の1コマに過ぎず、和やかで儀礼的な対応に終始した。しかし、麻原にとってその事実はどうでもよかった。
帰国後、世界的宗教指導者と並んで親しげに写る自分の写真を、麻原はすべての教団施設に大々的に掲げた。
「尊師は、あのダライ・ラマからも認められた本物の聖者なのだ」
その一枚は、信者たちの狂信を決定的なものにした。
麻原はこのとき手に入れた書簡――単なる礼儀的な挨拶文に過ぎないもの――を東京都への申請資料として最大限に悪用し、1989年、ついに悲願であった「宗教法人」の認証を取得する。 長く求め続けてきた社会的な承認を、彼は現世のシステムから毟(むし)り取ったのだ。
選ばれなかった少年は、ようやく、社会に「選ばれる」側に立った――そう、思えたのかもしれない。
だが、承認の獲得は、さらなる暴走の引き金に過ぎなかった。 麻原は信者たちに、密教における伝説の理想郷「シャンバラ」の存在を語り始める。
「この汚れきった日本の中に、争いも差別もなく、真理(オウムの教え)のままに人々が生きる絶対的な理想郷を築く。これこそが『日本シャンバラ化計画』である」
全国に支部を、学校を、病院を、独自の企業や雇用を創る。人々の暮らしのすべてを教団が支える社会。口にすれば壮大な理想論に聞こえるが、麻原は本気だった。
この時期、麻原が執拗に研究していたのが、天理教の構造だった。 奈良県天理市。そこには一つの宗教を中心として、学校があり、病院があり、独自の企業がある巨大な共同体が存在していた。一つの信仰が、国家の内側に実質的な「もうひとつの社会」を形作っている光景に、麻原は凄まじい衝撃を受けた。
「宗教は、国家になれる」 そう、確信したのだ。オウム真理教もまた、同じ道を歩み始める。
そこからの商業化と資金調達は凄まじいものがあった。修行用ビデオ、高額な特別セミナー、教祖の説法テープ、そして教祖の血や髪の毛を混入したと称する「神聖な水」などの宗教グッズ。これらが、現世の価値観を否定された信者たちに向けて法外な価格で販売され、莫大な資金が麻原の手元へ流れ込んだ。彼らにとって、それは単なる買い物ではなく、悟りへの「投資」だったのである。
その巨額の資金を投入し、教団は土地を買い漁る。 場所は山梨県南都留郡上九一色村。富士山の麓に広がる、静かな土地だった。 麻原はその場所を見つめ、確信に満ちた声で側近に告げた。 「ここが、我々の新しい王国になる。ここから、世界を変えるのだ」
そうして、建設が始まった。プレハブを巨大化させたようなコンクリート製の不気味な建物群――のちに社会を恐怖に陥れる「サティアン(真理の拠り所)」の誕生である。
建設現場には、理想に燃える若き出家信者たちの姿があった。彼らは寝食を忘れ、泥にまみれて昼夜を問わず働いた。自分たちは今、人類の救済拠点を、新しい世界を作っているのだと本気で信じていた。彼らは、眩しいほどの理想を見ていた。麻原は、その先にある未来を見ていた。
だが、その光景を外から眺めれば、あまりにも異様だった。そびえ立つ高い塀、外を監視するカメラ、窓を閉ざされた無機質な施設。財産をすべて教団に寄付させ、家族との連絡を一切絶たせる出家制度。 理想郷を作るはずの場所は、外の世界との断絶を極めた、麻原彰晃という一人の男を絶対王とする「隔離された監獄」へと静かに変貌しつつあった。
だが、その変化に気づく者は、内部には誰一人としていなかった。自分たちがいったいどこへ向かっているのかを、冷静に見つめる目を、彼らはすでに失っていたのである。
かつて、純粋に悟りを求めていた一人の修行者は、いまや、国家を築こうとしていた。 シャンバラ。それは、理想郷の名だった。 だが、のちに振り返れば――その計画こそが、破滅へと続く、最初の入り口だったのである。
そしてまもなく、麻原はさらに巨大な夢を見る。 日本を変えるだけではない。日本を、力で支配する。 その牙が、はっきりと外の世界へ剥かれるのは、もう間もなくのことだった。
第三章 王になる夢
1989年(平成元年)。 オウム真理教は、宗教法人としての認証を受けた。
麻原彰晃にとって、それは単なる行政の手続きではなかった。かつて自分を見捨てた家族や、自分を不合格にした社会を見返し、跪く数千人の信者の前で「尊師」として君臨する全能感。幼い頃からずっと求め続けてきた社会からの「承認」を、ようやくその手で掴み取った瞬間だった。
熊本の盲学校で過ごした孤独な少年時代。東大受験の度重なる失敗。潰れた事業。薬事法違反による逮捕。彼の半生は数え切れない惨めな敗北で織られていた。だが、いまや彼の前には巨大な独自の王国が広がりつつあった。
それでも、麻原の底なしの支配欲は、宗教世界のなかだけで収まる代物ではなかった。「日本を変えるためには、既成の政治権力を直接握る必要がある。国家そのものをオウム化するのだ」 その願いは、さらに巨大な野望へと膨らんでいく。少年時代から脳内で妄想し続けた「内閣総理大臣」の座を、現実のものにするために。
1989年の暮れ。教団は、政治団体「真理党」を結成する。党首は、教祖である麻原自身。村井秀夫や上祐史浩といった主要幹部ら二十五人もの候補者を擁立した。宗教団体としては、異例の規模だった。
翌1990年。第39回衆議院議員総選挙。バブル景気に沸く日本社会のなかで展開された真理党の選挙運動は、奇妙を通り越して不気味な見世物だった。
主要駅の街頭に、白い法衣をまとった候補者たちと、教祖の顔を模した巨大なマスコットマスクが並ぶ。大音量で流されるのは、チープな電子音の「尊師マーチ」やオウムソング。若き信者たちは笑顔を張り付け、音楽に合わせて奇妙なダンスを踊りながら、ビラを配り続けた。信者たちは本気だった。これは日本を滅亡から救うための聖戦なのだと、心から信じていた。
だが、世間の目は冷酷極まりなかった。テレビは半ば面白がってその様子を珍妙なパフォーマンスとして消費し、新聞は奇異な集団として彼らを扱った。多くの有権者にとって、真理党は真剣に向き合うべき政治勢力ではなかった。有権者が向ける冷ややかな失笑と、信者たちのあの純粋な真剣さとの落差は、あまりにも大きすぎた。
そして迎えた投票日。結果は、惨敗だった。
立候補した者は、全員が落選した。麻原自身の得票数も驚くほど低く、惨敗という言葉すら生ぬるい、完全な拒絶だった。国民は、オウムを、麻原彰晃を選ばなかったのである。
当然と言えば、当然の結果だった。しかし、麻原はその現実を直視することができなかった。 彼はこれまでの人生で何度も敗北してきたが、そのたびに「自分は選ばれた存在だ」という精神世界へ逃げ込むことで、その脆い自尊心を防衛してきた。だが、今回は違った。自らが神として君臨する何千人もの信者たちの目の前で、現世のルールによって、公に「お前は無価値だ」と叩きつけられたのである。
この耐え難い屈辱の夜、麻原の精神の安全弁は完全に破壊された。 彼は敗北を認める代わりに、ドス黒い陰謀論へと完全に脳内を書き換えた。
「今回の選挙は、国家権力による大規模な不正選挙だ」
「マスコミと国が結託して、オウムを弾圧しているのだ」
尊師が間違っているはずがない。ならば、世界のほうが間違っているのだ――信者たちもまた、その教祖の被害妄想を狂信的に共有した。そう信じるほうが、彼らにとっては、ずっとたやすかったからだ。
ここを境に、麻原の思想は決定的に「反社会」「国家転覆」の狂気へと舵を切る。それまで、彼の修行の目的は、個人の煩悩や無知を滅ぼすことだった。しかし今や、戦うべき真の敵は、自分たちを拒絶した「日本の国家、警察、マスコミ、そして俗世の全人間」へと入れ替わった。かつて彼は日本を救おうとしていた。だがいつしか、日本は救うべき対象ではなく――力で戦い、ひれ伏せさせるべき相手へと変わっていったのである。
麻原の説法からは優しさが消え、凄惨な終末思想(ハルマゲドン)が狂ったように強調されるようになる。
「ハルマゲドンは近い。第三次世界大戦が勃発する。米軍の毒ガスや核兵器によって、人類は一瞬で滅亡する。生き残れるのは、修行を積んだオウムの戦士だけだ」
不思議なことに、血の気の引くような終末の恐怖を突きつけられればられるほど、信者たちは安堵し、麻原への依存を強めていった。世界が滅びても、「尊師の下にさえいれば、自分たちだけは救われる」という絶対的な特権意識が与えられたからだ。
富士山麓のサティアンでは、要塞化の建設がさらに加速した。信者たちは家を売り、すべての財産を教団に投げ打ち、家族と縁を切り、仕事を辞めた。 人生のすべてを富士の裾野へと集約させていった。
教団の内部では、麻原の言葉は神の「絶対法」となり、ほんのわずかな疑問を持つことすら「悪業(カルマ)」として徹底的な自己否定を迫られるシステムが完成した。説得ではなく、恐怖とマインドコントロールによる完全な服従。 かつて盲学校の寄宿舎で、目の見えない同級生たちを恐怖で従えていたあの少年の歪んだ支配欲は、いまや誰の目も届かない「狂気の王国」の構造として、富士の麓に完成しつつあった。
高い塀。閉ざされた空間。絶対の教祖。服従する信者たち。かつて、人々を悟りへ導こうとした一人の修行者は、いまや、暴力で世界を従える王になろうとしていた。
だが、王になるという夢は、やがて、さらに危ういかたちへと変わっていく。理想の王国を守るためなら、何をしても許される――。
狂気への扉は、すでに、音もなく開き始めていた。
第四章 ポア
ここで、時を少しさかのぼらなければならない。教団が、政治の夢を見ていた同じ頃、華やかな表向きのちょうど裏側で、もう一つの、暗い流れが――静かに、しかし、決定的に育っていた。
1988年(昭和63年)。オウム真理教という組織はは、急速に拡大していった。全国に支部ができた。富士山の麓では、サティアンの建設が進んでいた。そして、麻原彰晃は、「最終解脱者」としての、絶対の地位を固めつつあった。
だが、教団の内側では、目に見えない地殻変動が、起き始めていた。
修行は、しだいに、過酷さを増していく。かつての、あの穏やかなヨガ教室の面影は、もう、どこにもなかった。
眠る時間は、極限まで削られる。食事は、厳しく制限される。薄暗い部屋で、何日も、瞑想を強いられる。
そんな、肉体と精神の限界を超えた状態のなかで、信者たちは焦っていた。
周りの信者たちは、口々に、神秘の体験を語り始める。
「光が、見えた」
「体が、浮いた」
「尊師のエネルギーを感じ、神々の声を、聞いた」
そんな言葉を聞かされるうちに、胸の奥に、息苦しいほどの焦りと、恐怖が、信者の間に芽生える。
自分だけが、何も見えない。自分だけが、悟れない。それは、自分の修行が、信仰が、足りないからだ――。
追いつめられた心は、やがて、見えないはずのものを、見はじめる。そして、1988年、9月に教団の歴史を、もう取り返しのつかないものに変える最初の事件が、起きる。
富士山総本部の道場で、修行が行われていたときのことだった。一人の若い男性信者が、あまりの負荷に耐えかね、錯乱した。大声をあげ、道場のなかを走り回り意味不明な言葉を、叫びつづける。
現場は、騒然となった。幹部たちは、別室の麻原に、指示を仰ぐ。麻原は、冷ややかに、言い放った。
「水をかけて、頭を冷やしてやれ」
幹部たちは、暴れる男性を、浴室へ連れていき、ホースで冷たい水を浴びせ、総出でその体を押さえつけた。
だが――度を越した制圧の結果、男性信者は、もがいたまま息を引き取ってしまう。教団のなかで起きた、初めての死だった。
本来であれば警察へ通報し、事故として処理すべき事態だったが、悲願であった宗教法人の認証を目前に控えた時期である。――もし、これが公になれば、どうなるか。これまで築きあげてきたものが、すべて、崩れ落ちる。その恐怖が、幹部たちの、そして何より麻原の脳裏をよぎった。
教団は、隠蔽を、選んだ。
麻原は、遺体の焼却を命じる。亡骸は、人知れず骨と灰にされ、近くの湖へと流された。若い信者は――最初から、存在しなかったことにされたのだ。 「これは、尊師を守るためだ。外へ漏らせば、地獄に落ちる」
そう信じた信者たちは、沈黙を選んだ。
この瞬間、オウム真理教は、決定的な一線を越えたのである。
一人の人間の命よりも、組織の存続を優先した。 かたちばかりであれ、まだ「救済」を掲げていたはずの集団が、その理想を自らの手で裏切った最初の一歩だった。
そして、麻原の心にも、決定的な変化が、生まれる。自らが、殺人の隠蔽に手を染めたことで――彼の猜疑心は、もはや、病の域に達していた。
もともと、誰も信じられない男だったが、いまや、昼も夜も、ひとつの恐怖に、怯えるようになる。誰かが、警察に密告するのではないか。教団のなかに、裏切り者が、いるのではないか。
やがて、サティアンのなかで、陰惨な「スパイ探し」が、始まる。
誰が、密告するのか。誰が、裏切るのか。信者どうしが、たがいの一挙一動を見張り密告し合う。密告し合う、相互監視のゲシュタポのような空気が漂い始めた。そんな息のつまる、相互監視の空気が、施設を覆っていった。
そして、その張りつめた闇のなかから、ひとつの言葉が、絶対の免罪符として、浮かびあがる。
「ポア」。
もともとは、チベット仏教において、死者の魂を、より高い世界へと送りとどける高潔な儀礼を指す言葉だった。
しかし、閉ざされた教団のなかで、その意味は、悪魔の論理へと、すり替えられていく。
――もし、ある人間が、これ以上生きていれば、真理を妨げ、重い悪業を積んで、地獄に落ちてしまう。ならば、その者が、これ以上の罪を犯す前に、その肉体の命を、終わらせてやることこそが、最高の「救済」なのだ、と。
仏教の根本にある不殺生の教えを、百八十度、覆す理屈だった。あまりに独善的で、身勝手な、殺人の正当化であった。だが、外の情報を断たれ、麻原を「神」と信じこんだ幹部たちにとって、この論理は、揺るぎない正義となった。
――尊師の判断は、凡夫の善悪を、超えている。 尊師は、殺せと言っているのではない。あの者の魂を救うために、ポアせよと言っているのだ。
考えることをやめたエリートたちにとって、常識も、法律も、良心の呵責も、いまや、修行を妨げる「現世への執着」にすぎなかった。善悪の基準は、消滅した。法律も、常識も、消え去った。あるのは、ただ、麻原の口から発せられる、言葉だけだった。
やがて、外部へ情報を漏らす恐れのある、不都合な信者の存在が報告されると、麻原は、静かに、口にするようになる。
「あのまま放っておくと、危ないんじゃないか」
「ポアした、ほうがいいんじゃないか」
この頃から、「ポア」は、もはや、宗教の言葉では、なくなっていた。組織にとって都合の悪い人間を、消すための、隠語へと――変わり始めていたのである。
恐ろしいのは、そこに、剥き出しの悪意だけが、あったわけではないことだった。幹部たちのなかには、それを、本物の「救済」だと、本気で信じ、良心の痛みもなく、手を染める者がいた。
それは、剥き出しの悪意よりも、なお、底冷えのする――人の良心を、静かに凍らせていく仕組みだった。
誰も、反論しない。
誰も、止めない。
誰も、否定しない。
かつて、孤独のなかで、誰かに認められたい、愛されたいと願っていた、熊本の少年はいまや、他人の命の灯を、自らの胸ひとつで、消し去ることのできる――生殺与奪を握る神となったのだ。
その静けさのなかで、彼の妄想は、少しずつ現実の命を奪う暴力へと姿を変えていった。『ポア』とは本来は魂を救うための言葉だった。
しかし、オウム真理教のなかで、その言葉は――組織のための「暗殺」を意味する言葉へと姿を変えた。
そしてその瞬間から、オウムは、宗教であることを、やめていたのである。やがてその死は、塀の内側だけにはとどまらなくなる。教団にとって「不都合」な敵は、外の世界にも、無数にいたからだ。
そして――おそろしいことに、その怪物がすでに人を手にかけ、次の獲物を見すえながら、堂々と、世間の只中に立って、笑っていてもなお、社会の側は誰一人として、それを怪物だとは、思いもしなかったのである。
第五章 見えなかった怪物
怪物はすでに、人を殺していた。しかし、誰も、見ようとしなかった。
それはけっして、見えない足跡ではなかった。むしろ、あまりにも露骨に、生々しく、社会の表面に刻まれていた。ただ、社会の側が――それを見てしまう覚悟を、持たなかったのである。
1989年、11月。 オウム真理教に真っ向から立ち向かっていた、一人の弁護士が姿を消した。坂本堤。 辞任を迫る教団の欺瞞を暴き、我が子を奪われた親たちの相談を受け、テレビにも出演して誰よりも早くこの教団の危うさを世に訴えていた、被害者たちの会の代理人。教団にとって、彼は最も邪魔な存在だった。
ある日を境に、彼と、その妻、そして生後一年あまりの長男の一家三人が、忽然と消えた。
失踪直後、その部屋には奇妙なものが残されていた。 「プルシャ」。オウムの信者が身につける、小さな真鍮製のバッジである。それがなぜか、坂本の部屋に落ちていた。教団関係者の車を目撃したという証言もあった。点は、最初からそこにあったのだ。
だが、警察の動きは驚くほど鈍かった。神奈川県警は、これを「事件」とすら断じきれずにいた。一家が自ら姿をくらませた――いわゆる夜逃げの線さえ捨てきれず、宗教法人への強制捜査という重い一歩を踏み出せなかった。遺体は見つからない。決め手もない。組織ぐるみの、誘拐と、殺人。その最悪の筋書きを、警察は見たくなかったのかもしれない。いや、単なる職務怠慢、かもしれない。
やがて、事件そのものが人々の記憶から薄れていった。その遺体が、遠く離れた三つの県の山中から、別々に掘り起こされるのは、六年ののち――教団の正体が、白日のもとに晒されたあとのことである。
この警察の「敗北」は、麻原に一つの恐ろしい手応えを与えてしまう。 ――自分たちは、国家の手すら、すり抜けられる。その全能感が、教団の暴走を加速させた。
やがて、選挙という最後の合法の扉もまた、彼の前で固く閉ざされる。全員惨敗。司法でもなく、政治でもないのなら――麻原の野心は、ただ一つの方角へと収斂していく。武力による「救済」、すなわち、ハルマゲドンである。
ちょうどその頃、麻原は宗教法人の認証を勝ち取り、教団は急拡大を続けていた。あるいは、世間もそれを手伝っていた。
テレビは、オウムを「面白い新興宗教」として消費しつづけた。空中浮揚。超能力。終末の予言。バラエティ番組は麻原を呼び、タレントと軽口を叩かせた。奇妙な集団として笑いの種にされることはあっても、若者を呑み込み、社会そのものを覆そうとするテロ組織として報じられることは、ほとんどなかった。
教団は、むしろ進んでカメラの前に出た。麻原はレンズに向かって破顔し、信者たちは施設の前で陽気に踊った。若者たちは熱狂し、世間はそれをただ、眺めていた。
怪物は、堂々と姿を現していたのに、誰もそれを怪物だとは、思わなかったのである。その笑顔の裏で、選び抜かれた理系の信者たちが、猛毒の神経ガス――サリンの密造に手を染めはじめているなど、いったい、誰が想像しただろうか。
1994四年、6月27日、長野県松本市。ある夜、寝静まった住宅街に、音もなく、無色の恐怖が流れた。 それは神経ガス、サリンだった。
眠りについていた住民たちが、次々と激しい呼吸の苦しみと痙攣に襲われ、倒れた。七人が、命を落とした。重軽傷を負った人は、六百人を超えた。平時の街で、化学兵器が撒かれる。戦後の日本が、いや、世界の犯罪の歴史すらまだ知らなかった、無差別の大量テロだった。
だが――この時もまた、真実には辿り着けなかった。国家もメディアも、またしても真実を直視しなかった。
警察とマスコミの視線は、一人の住民へと一斉に注がれた。 河野義行さん。 第一通報者であり、その妻はサリンに倒れ、昏睡の底に沈んでいた。自宅に、農業用の薬品があった。ただ、それだけの理由だった。
「第一通報者が、怪しい」
「薬品を、扱っていた」
「知識を、持っている」
科学の検証を脇に置いた警察の見立てに、新聞が、週刊誌が、テレビが、一斉に飛びついた。連日、連夜、河野さんを犯人と決めつける報道が続いた。最愛の妻が生死の境にある、その傍らで。一人の被害者が、一夜にして「松本の殺人鬼」に仕立てあげられていく。それは冤罪という名の、残酷なセカンドレイプだった。一人の人間の人生が、根こそぎ壊されようとしていた。
――のちに、河野さんの妻は、ついに意識を取り戻すことのないまま、長い歳月のすえに世を去る。八人目の、犠牲者だった。犯人と疑われたその男こそ、誰よりも深く、この事件に傷つけられた被害者だったのである。
そしてこの時、もう一つの決定的な「警告」が、完全に見過ごされていた。
松本の事件の前から、富士山麓の教団施設――上九一色村のサティアン周辺では、奇妙な「異臭騒ぎ」が相次いでいた。近隣の住民は皮膚の痛みを訴え、あたりの草木は理由もなく枯れていた。やがて、警察の科学捜査研究所は、松本の現場からサリンが分解してできる成分を検出する。そして――上九一色村の、あの教団施設の土壌からも、まったく同じ成分が検出されたのである。
点と点は、すでに結ばれていた。オウム真理教が、サリンを造り、それを使って、人を殺している。その確実な証拠は、もう、警察の机の上に載っていたのだ。
しかし、警察は動かなかった。「河野犯人説」という歪んだ見立てに囚われたまま。あるいは、宗教法人への強制捜査という、あまりに重い決断から目を背けたまま。
では、その間。本当の犯人である、オウム真理教はどうしていたか。 教団は、平然としていた。
世間の関心は河野さんへ向き、警察は決め手を欠いている。その光景を、麻原は塀の内側から冷ややかに眺めていた。
「警察もマスコミも、マヌケだ。これだけのことをやっても、勝手に別の犯人をこしらえて自滅してくれる」
そう、嗤った。彼らの確信は、いまや揺るぎないものになっていた。社会の「事なかれ」の態度と、的外れの狂騒報道とが、皮肉にも、この怪物を完全な無敵にしてしまったのである。
坂本弁護士一家。
上九一色村の、異臭。
松本の、夜。
いま振り返れば、怪物の正体を告げる警告は、何度も、何度も、発せられていた。その息の根を止める機会は、確かに、与えられていた。しかし、誰もそれを結びつけられなかった。いや――結びつけようと、しなかった。
マスコミは、分かりやすい犯人を追い、大衆の好奇心を煽った。 警察は、決定的な証拠を手にしながら、組織の面子と前例に縛られて動けなかった。そして世間は、オウムを危険な武装集団としてではなく、ただ奇妙な宗教団体として見ていた。
その間にも教団は、力を蓄えつづける。サティアンは巨大化した。塀の奥では、サリンを大量に造るためのプラントが完成へと近づいていた。資金は集まりつづけ、やがて、自動小銃の密造にまで手が伸びようとしていた。
もし、坂本事件のときに、警察が教団の関与を本気で疑っていたら。もし、あの土壌からサリンの成分が見つかった時点で、踏み込んでいたら。もし、松本の事件で、オウムの名が早くに浮かんでいたら。
歴史を止める機会は、少なくとも三度あった。だが、現実はそうならなかった。見えるはずの怪物は、社会の怠慢と、保身と、偏見によって、見過ごされつづけたのである。
そして、怪物は確信する。誰も、自分たちを、止められない。誰も、真実には、辿り着けない。
ならば――次は、いよいよ、本番だ。首都の心臓を突く。この愚かな世界を、まるごと、「救済(ポア)」してやる。
その確信に守られながら、教団は、最後の一線へと近づいていった。通勤の人波で埋まる、帝都の地下にサリンを撒く。その朝まで――残された時間は、わずか、九か月だった。
では、その「誰にも止められない」という確信のもとで、 固く閉ざされた塀の、その内側では――王国は、いったい、どこまで来ていたのか。
第六章 狂気の王国
選挙の敗北から、数年が過ぎていた。1990年代前半。富士山の裾野である、山梨県上九一色村に広がるオウムの「王国」は、その外貌を完成させていた。第一サティアンから、第十一サティアンまで次々と乱立するコンクリート製の巨大な無機質な施設群。外の世界から隔絶されたその広大な敷地は、国家の内側に存在する、実質的な「もうひとつの首都」だった。
次々と建てられていく建物は、外の世界から切り離された、一つの都市のようだった。しかし、その風景は、麻原がかつて憧れた天理市のような、人々の生活が息づく温かい宗教都市では決してなかった。そびえ立つ高い塀、外を監視するカメラ、有害な化学薬品の臭気が漂う無機質なプラント。それは理想郷などではなく、戦争に備えるための「軍事要塞」そのものだった。
だが、要塞のなかで生きる出家信者たちの目には、そこがハルマゲドンから人類を救う唯一の聖地「シャンバラ」として見えていた。彼らは持てる財産のすべてを教団に召し上げられ、劣悪な環境のなか、わずかな食事と睡眠で過酷な労働に明け暮れていた。すべてを、教団へ捧げた。その代わりに与えられるのは、悟りへの道だと、信じていた。少なくとも、彼らは、そう信じていた。
だが、現実は違った。教団が巨大化し、絶対的なピラミッド組織となるにつれ、麻原の周囲からは「真実を語る人間」が一人残らず消え去っていた。かつてのヨガ教室時代にあった、弟子たちとの対等な議論や笑い声は、今や存在しない。「尊師のおっしゃる通りです」その一言ですべてが決定される世界。どれほど非合理で、どれほど矛盾に満ちた指示であっても、誰も異議を唱えない。いや、唱えれば即座にサティアンの地下室に監禁され、凄惨な「温熱修行」や電気ショックによる記憶消去という名のリンチが待っていたからだ。疑問を持つこと自体が、魂の汚れであると信じ込まされていた。
やがて麻原自身は、自ら修行することを完全にやめていた。かつては誰よりも熱心に瞑想し、弟子たちと共に汗を流した男が、今や贅沢な個室に引きこもり、出家信者たちから集めた莫大な資金で高級食材を貪り、複数の女性幹部を身辺に置き欲望の赴くままの生活に溺れていた。運動不足と偏食により彼の体重は急増し、視覚障害の悪化とともに健康状態は著しく崩壊していった。しかし、信者たちの前では、それすらも「全人類のカルマを尊師がその肉体で引き受けてくださっているのだ」という神聖な物語へと都合よく変換された。
しかし、現実の麻原のなかでは、恐ろしい変化が起きていた。自らの肉体が衰え、現世からの孤立が深まるにつれ、麻原の脳内の被害妄想は、限界を超えて狂暴化していく。
「フリーメイソンがオウムを狙っている。米軍のヘリがサティアンの上空から毒ガスを撒いている。日本の警察は、近いうちにオウムを武力で潰しにやってくる」
選挙に敗れた頃から始まったあの被害意識は、年を追うごとに濃くなり、自分たちを拒絶し、批判する外の世界そのものが「悪魔の軍勢」に見えていた。マスコミ、警察、弁護士、国家。自分たちを理解しようとしない社会そのものが、すべて「敵」だった。
敵が増えるほど、教団はいっそう外へと扉を閉ざしていく。信者たちは外の情報から完全に遮断された。新聞を読む機会は減り、テレビを見ることもなくなった。教団のなかを流れる情報だけが、彼らにとっての唯一の真実となった。
閉ざされた世界。それは、もはや一種の独立国家、いや「王国」だった。その頂点で、麻原は絶対の王として君臨していた。
やがて、王国には新しい歪んだ掟が生まれる。教団のなかでは、神秘の体験が絶対視されるようになっていた。光を見たか。エネルギーを感じたか。尊師と一体になれたか。そうした体験を語れない者は、劣等感に苛まれた。すると幹部たちは、ある恐ろしい方法に頼り始める。 薬物だった。LSDなどの幻覚を引き起こす物質、意識を変える薬剤。本来であれば長い修行の果てに現れるはずの精神状態を、人工的に引き起こし、信者たちをさらに深い洗脳状態へと縛り付けた。
この頃から、王国のなかでは科学技術の部門が急速に膨らんでいく。信者のなかには、優れた研究者が数多くいた。東京大学、京都大学、大阪大学などの理学部や工学部を卒業した、理工系のトップエリートたちだ。本来であれば、日本の科学技術の未来を担い、高名な企業や研究機関で活躍していたはずの若き天才たちである。
麻原は、目に見えない敵の恐怖に対抗するため、この若き頭脳を呼び集めて命じた。「悪魔の攻撃から真理を守るため、我々の手で、新たな科学兵器、生物兵器、そして自動小銃を密造するのだ。これこそが、ハルマゲドンを生き抜くための究極の救済ワークである」
彼らは、自分たちの高度な知識が、人類を滅亡から救うために使われていると本気で信じ込まされていた。純粋すぎる善意と狂信。はじめからテロを目的としていたわけではなかった。だが、「世界は敵である」という前提に立てば、話は変わる。敵と戦うためには、力がいる。その理屈が、しだいに教団を呑み込んでいった。かつて、人を救うために学んだはずの知性が、いまや「救済」の名のもとに、人を大量に殺傷する兵器の開発へと注ぎ込まれていく。 それは、剥き出しの悪意よりも、なお、底冷えのする光景だった。サティアンの内部には、近代国家の警察すら想像だにしなかった「化学兵器製造プラント」が、秘密裏に、しかし確実に稼働を始めていた。
麻原の説法は、以前よりもいっそう攻撃的になっていった。
「ハルマゲドンは近い。世界は滅ぶ。国家はオウムを潰そうとしている。真理に逆らう者は、救済されねばならない」
1994年。麻原は説法のなかで、ついにこう言い放つ。
「真理に反する者は、早く消したほうがいい。消される側も、高い世界へ転生する。消す側も、功徳を積む」
人を殺すことが「善」であり「功徳」であるとする、最悪の教理――「ポア」の肯定。かつての修行者は、もうそこにはいなかった。苦しむ若者を励まし、誰よりも悟りを求めてヨガを教えていた男の姿は完全に消え去り、残っていたのは、自らを救世主と信じる一人の暴君だった。そして、王は傲然と宣言する。「私は、一九九七年に、日本を支配する王になる」
信者たちは歓声をあげた。疑う者は、誰一人としていなかった。その光景こそが、何より恐ろしかった。一人の人間の妄想ならば、まだ誰かが止められたかもしれない。だが、何千もの優秀な人間が、同じ夢を、同じ熱で信じ始めたとき、その妄想は現実の世界を物理的に押し動かす破壊力を持ってしまう。
そして1884年、6月。その狂気の力は、ついに外の世界へと解き放たれることになる。
標的は、長野県松本市。教団と土地トラブルで争っていた裁判の、その判決を下そうとしていた裁判官たちの宿舎だった。夜のしじまにまぎれて、地下の研究室で造られた猛毒・サリンが初めて現実の街に放たれた。眠りについていた住民たちが次々と倒れ、八人が命を落とした。狙われたのは裁判官だったが、実際に犠牲になったのは、その町に暮らすオウムとは何の関わりもない普通の人々だった。しかも世間とマスコミは、自らも被害者であった第一通報者を犯人扱いし、教団の存在には目を向けなかった。
その毒が、見ず知らずの人々の命を理不尽に奪っても、王国のなかでは誰一人として立ち止まらなかった。それどころか、自分たちの犯行が完璧に隠蔽され、世間が勝手に自滅していく様子を見て、「誰も自分たちを止められない」という全能感をさらに深めていったのである。
狂気の王国は、富士山の麓に確かに存在していた。 外から見れば、異様な宗教施設だが、そのなかにいる者たちにとっては、そこだけが人類の最後の希望だった。王の言葉は絶対であり、王の妄想はすでに王国全体の総意となっていた。
止める者は、内にも、外にも、もういない。あとはもう、その肥大化した妄想が、さらなる破壊となって現実の世界へと溢れ出すのを待つばかりだった。
エピローグ 妄想の王国
王国は、一瞬にして崩壊した。
1995年(平成7年)3月20日の朝、通勤の人々で混み合う、東京の地下鉄。 その車内で、猛毒のサリンが撒かれた。
多くの人が、倒れた。乗客が、倒れた。 駅員が、倒れた。救助にあたった人々までもが、倒れた。
日本中が、混乱に包まれた。戦後の日本が、経験したことのない、大規模なテロだった。それは日本中を未曾有のパニックに陥れた。
そして、捜査の末に浮かびあがったのは、オウム真理教だった。かつて、ヨガ教室から始まった、小さな団体。悟りを求めた、若者たちの集まり。人類の救済を掲げた、宗教団体のはずだった。
だが気がつけば、そこは大量殺人を正当化する組織へと、変わり果てていた。なぜ、そんなことになったのか。
その凶行から2ヶ月後の5月16日、山梨県上九一色村の第六サティアン。その不気味な建物の、隠し部屋の狭い隙間のなかに、仰向けに寝そべって隠れていた麻原彰晃は、捜査員の突入によって引きずり出された。数千万円の現金を抱え、長い髪と髭を乱したその姿には、かつて数千人の信者を平伏させた「全能の神」の威厳など、微塵も残されていなかった。
なぜ、こんな悲劇が起きたのか。その答えは、眩暈(めまい)がするほどに、案外単純なものなのかもしれない。
王国は、最初から狂っていたわけではなかった。 麻原彰晃もまた、最初から怪物だったわけではない。
熊本の、貧しい家に生まれた一人の少年。
目に障害を抱えて、生きた少年。
親に捨てられたと思い込み、孤独を抱えつづけた少年。
己が人より優れていると、信じたかった少年。
誰かに、認められたかった少年。
選ばれた存在に、なりたかった少年。
その願いそのものは、けっして、特別なものではなかった。 誰もが、胸のどこかに、少しは抱えている感情だった。しかし、松本智津夫は、その思いを、手放すことが、できなかった。
東大受験に失敗した。 政治家への道も、閉ざされた。事業でも、何度も、つまずいた。薬事法違反で、逮捕された。
現実は、何度も、彼を否定した。
そのたびに、彼は、別の世界へと、逃げ込んだ。精神世界。超能力。悟り。終末思想。そして、宗教と。
そこでは誰も、彼を否定しなかった。むしろ、称えた。
尊師。救世主。最終解脱者。生き仏。
かつて、喉から手が出るほど欲しかった言葉が、次々と、与えられた。そして、人は――自分を信じてくれる者が増えるほど、自分のついた嘘を、疑えなくなっていく。
最初は、誇張だった。次は、思い込みだった。やがて、確信になった。最後には、現実になった。
少なくとも、本人のなかでは。
「私は、選ばれた存在だ」
「私は、人類を救う」
「私は、世界を導く」
最後には「自分は世界をハルマゲドンから救う王なのだ」という絶対的な現実として、彼の脳内を完全に支配した。気がつけば、本人ですら、もう、そこから抜け出せなくなっていたのである。
オウム真理教の信者たちは、しばしば「洗脳された被害者」として、語られる。確かに、そうした面も、あるが、それだけではない。彼らは、本気だった。本気で、世界を変えようとしていた。本気で、悟りを求めていた。 本気で、人類を救いたいと、願っていた。だからこそ、危険だったのだ。
彼らは、あまりにも「本気」だった。彼らは私利私欲のためではなく、本気でこの冷淡な近代社会のシステムを超えた真理を求め、本気で世界を変えようとし、本気で人類を救いたいと願っていた。
悪意だけで動く組織なら、もっと早く内部から崩壊していただろう。彼らのなかに「純粋な善意」と「高潔な理想」があったからこそ、彼らは教祖の提示した破滅の物語から引き返すことができず、地獄の門を叩くまで止まれなかったのだ。
誰も反対せず、誰も疑わず、誰も止めない閉鎖空間のなかで、一人の男の歪んだ承認欲求は、何千人もの人間の人生を燃料として吸い上げ、現実を破壊する巨大な爆弾へと増幅され続けた。だが、どれほど信者が増え、どれほど施設が巨大化し、どれほど資金が集まろうとも、妄想が現実の国家システムに勝てるはずがなかった。自らが創り出した幻想に飲み込まれた時点で、麻原の敗北は最初から約束されていたのだ。
やがて王国は、完成する。富士山の麓に建てられた、サティアン。 閉ざされた、共同体。 絶対の、服従。 終末の、思想。 敵と味方しか、存在しない世界。
そこは、理想郷シャンバラでは、なかった。ただの、妄想の王国だった。だが、その王国には、致命的な欠陥が、あった。
逮捕後の裁判で、麻原はかつてのように人々を惹きつける言葉を語ることは二度となかった。やがて意味不明な私言を呟くだけとなり、意思疎通すら困難な廃人のようになっていった。かつて世界を支配すると豪語し、人類救済の絶対王として君臨した男の面影は消え失せ、独房に残されていたのは、ただの、うつろな表情で余生を過ごす一人の老人に過ぎなかった。
2018年(平成30年)7月6日。麻原彰晃こと松本智津夫の死刑が執行された。享年63。 絞首台の露と消えるその直前まで、彼が何を考えていたのかを知る者は誰もいない。自らの犯した悍ましい罪の重さを理解していたのか。それとも、最後まで自分は悲劇の救世主であると信じ込んでいたのか。その答えは、歴史の闇の向こうへ消え去った。
ただ、確かな事実がひとつだけある。彼は、最後まで誰からも「本当の意味で選ばれる」ことはなく、王になることも、理想国家を作ることも、誰一人として救うこともできなかった。彼が築いた妄想の王国は跡形もなく滅び、あとに残されたのは、奪われた多くの命と、遺された家族たちの決して癒えることのない深い傷跡だけだった。
認められたかった少年。選ばれたかった青年。救世主になりたかった男。松本智津夫の人生は、あまりにも肥大化した自己愛と、壮大な妄想の果ての破滅によって幕を閉じた
だが、ここで、忘れてはならないことがある。彼が、どれほど傷つき、どれほど満たされず、どれほど認められたかったとしても――それは、彼が犯した罪の、いかなる言い訳にも、ならない。
一人の少年が、なぜ、この道を歩んでしまったのか。それを理解しようとすることは、その罪を、赦すことでは、けっしてない。
あの朝、地下鉄で命を絶たれた人々。松本の夜に、眠りのなかで倒れた人々。声をあげたために、幼い子もろとも消された、一人の弁護士。いまも、後遺症と闘いつづける人々。そして、帰らぬ家族を、待ちつづけることになった人々。その苦しみの前では、教祖の生い立ちなど、ひとかけらの免罪符にも、ならないのだ。
それでも私たちが、この物語をたどるのは、なぜか。それは、彼が、特別な怪物だったからではない。 むしろその逆だ。認められたい。 選ばれたい。 特別で、ありたい。その願いは、私たちの誰もが、胸のどこかに、抱えている。
だからこそ、この物語は、いまも、私たちに問いかけてくる。
もし、あなたの前に現れた誰かが、「自分だけが世界の真実を知っている」と言い始めた時。もし、その誰かが、「大いなる救済のためなら、多少の犠牲や法律違反も許される」と囁いた時。もし、そのコミュニティが、「組織を疑うこと、師の言葉を批判することこそが罪だ」とあなたを縛り始めた時。
その美しい理想の先に、一体どのような地獄が待っているのかを。
オウム真理教の歴史は、決して断絶された遠い過去のカルトの寓話ではない。それは、人間の心のなかに宿る「認められたい」というあまりにも普遍的な弱さと、危うさが生み出した、地続きの怪物の記録である。
オウム真理教の歴史は、けっして、遠い過去の出来事ではない。それは、人間の心の弱さと、危うさが生み出した物語であり、同時に――私たち自身への、警告でもある。
妄想の王国はサリンの煙とともに崩壊した。しかし、その王国を育てた「孤独」と「承認の渇き」という名の種は、いまも、私たち一人ひとりの心の奥底に、静かに眠っている。だからこそ、この物語は、忘れてはならないのである。
あとがき
今回の構成は、
プロローグ 教祖への道
第一章 捨てられた少年
第二章 認められたい
第三章 挫折の連続
第四章 神になれる世界
第五章 運命の言葉
第六章 麻原彰晃誕生
エピローグ
という前編と、
『救世主から独裁者へ』
プロローグ
第一章 最終解脱
第二章 理想郷シャンバラ
第三章 王になる夢
第四章 ポア
第五章 見えなかった怪物
第六章 狂気の王国
エピローグ 妄想の王国
という後編で、一人の少年がなぜ日本史上最悪級のカルト教団指導者へと変貌していったのかを、事実関係を土台にしながら物語として再構築してみた。
特に印象的なのは、松本智津夫という人物が最初から怪物だったわけではなく、
障害
貧困
孤独
承認欲求
度重なる挫折
といった要素が積み重なり、そのたびに現実ではなく「選ばれた自分」という物語へ逃げ込んでいった点だ。そしてそれをマスコミが都合のいいストーリーを走らせたことでもある。
もちろん、それで彼の犯罪が正当化されることはない。しかし、なぜあれほど多くの優秀な若者が惹きつけられたのか、なぜ組織全体が暴走したのかを理解するためには、単なる「悪人伝」ではなく、人間の弱さや集団心理の問題として描く必要があった。
今回の物語は、単なるオウム事件の解説ではなく、
「妄想が現実を侵食するとき、人はどこまで暴走するのか」
という一つの人間ドラマである。
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